「知ってますか?認知症」

第4回 認知症の人の思いを知るーその3 

公益社団法人認知症の人と家族の会副代表理事・神奈川県支部代表   川崎幸クリニック院長 杉山孝博 

*「お父さん、本当にありがとう。よく世話をしてくれてありがとう。本当にやさしいんだから。いろいろ心配かけてごめんなさいね。いつまでも元気でいてね」と。前後、支離滅裂な内容を言い続けていたのに、これが妻が私に言った最初で最後の正気の言葉となりました。(略)私は、この時、最後まで、妻をやさしく介護してやろうと決心しました。

もの忘れが進んでも、「(家族に)幸せになって欲しい」「(家族の)体を気遣う」「(家族に)感謝『ありがとう』」という気持ちは持ち続けています。

*痛いリハビリに抗議して「イヤ、イヤというたらイヤ!しないというたらしない。人がこれほどイヤと言うものを、皆は、何の権利があって無理強いするのか。その理由を言え。人権無視じゃあ」

リハビリや検査なども、その意味がわからない認知症の人にとっては、本人のためであっても辛いこといやなこと以外ではありません。スタッフは認知症の人の気持ちや性格を受け止めてサービスの提供を考えなければなりません。

*(特養ホームにて、ケアマネージャの質問に答えて)「ここはやさしいね。やさしくしてもらって感謝しているよ」と言いました。この義母の言葉を聞いた時、私は涙が止まりませんでした。(略)話す言葉も短くなってしまった義母が、果たして答えられるか疑問に思っていましたが「介護は技術ではない。やさしさである」と義母は教えてくれました。

本人が施設やサービスをしっかり評価していることもあります。家族が言いたくても言えないことを素直に表現します。

*車で移動中に紅葉を見て「すごくきれい」と何度も言った。今まで、あまり芸術面や、山などに興味を示さなかったのに、感動することが多くなった。

*孫娘が「じいじ、じいじ」と声をかけると、孫を見つめて「かわいいわ」と言ったのです。もう心の交流はできないのかと悲しく思っていたのに、この日の場面は忘れられません。

花や自然の景色に素直に感動できるのは、子どもの頃ではないでしょうか。大人になるに従って理知的な要素が混じってきて、素直な感動の渦が湧き上がるのを妨げてしまいます。子どもは感動した対象を、目で、手で、口で、鼻で、耳で、つまり全身で感じて、きれいな花が咲いていればお構いなく手に取って口に入れようとします。記憶力、理解力、推理力などの知的機能が低下した「二度童子(わらし)」である認知症の人も、子どもと同じように、自然や昔懐かしい風景に素直に感動しやすくなっているのではないかと思います。子どもとの違いは、乳幼児が植木鉢の花を摘んでもしかられないが、認知症の人の場合は「なぜこんなことをしたの」と強く非難される場合が多いという点でしょう。

*「あなたの笑顔はステキですね」と私の友人が訪ねてきた時に話した。母の精一杯の挨拶。相手に不快を与えないような心配りが感じられた。

*息子が亡くなってから、嫁の私に、面倒をみてもらうのがつらいと思っている。今まで、長い間、あたりまえのように振舞っていたのに。

 物忘れなどに混乱させられながらも、「まわりへの心配り」をしながら、認知症の人はあたりまえの生活を送っていることがわかります。

*「うちへ帰らしてもらいます。お母さんが体が弱いので、私がお炊事をしなければならんから」と言った。20代の頃、病弱な母を助けて、家事を取り仕切っていたらしい。その母を置いて恋愛結婚したと聞いたので,多分ずっと心にひっかかっていたのだろうと思った。

*「稲刈りをせんといかん」と言うので、田んぼまで行って、まだ穂が出ていないのを見て納得させたが、30分もしないうちに、また、「稲刈りをせんといかん」と言うので困った。説明や説得は役に立たない。何か他のことに考えが行くまで同じことを言っていた。

仕事や家事を必死にやってきた人にとって、なにもすることがないことは耐えられないことです。「記憶の逆行性喪失の特徴」により、子どもの頃や田舎に住んでいた時代に戻っていると考えれば、異常な言動ではありません。昔、本人が家族や仕事をどれほど大切に思っていたかがよく分かります。(「認知症の人の思いを知る」シリーズ了)

Follow me!